ジョン万次郎 海を渡ったサムライ魂 / マーギー・プロイス
先日、ある人との会話で私が、「最近、向上心が旅に出てしまったようだ」と言うと、相手に「案外、本屋に行くと、向上心帰ってくるよ(笑)」と言われて、はっとさせられました。
そういえば最近、本屋行ってない!
思い立ったが吉日、一駅先の本屋さんに向かった。駅ナカの小さな本屋で、決して品揃えが良い方ではなかった。
そこで手に取ったのが、この本だった。
実は、かなり前から別の本屋でディスプレイされているのも見かけていて、気にはなっていたけど、買って、読む、というところまではいかなかったのだ。
語り口は、文章は、とても淡々としていて、最初は入り込む、という感じにはなれなかった。
(こういってはあれだけど、やはり原文で読まなければ、原文そのもので書かれている感覚をそのまま受け取ることはできないのだと思っている。別に翻訳が下手とかいうことを言っているのではなくて、どうしようもない限界はある。以前読んだ本の中でも、フランス語の詩は原文で読まなければ、原文の音やリズムから伝わってくるものは受け取れないといった記述があった。)
しかし、物語が進んでいくと、このジョン万次郎という人物の魅力と、その時代の日本人とアメリカ人の感覚を垣間見ることができる、そこがとても面白くなってきた。
歴史的事実を踏んでいることもあるのか、淡々とした進み方は変わらない。
ただ、鎖国していた日本の一村人が、少しずつ世界の広さを知っていく、このプロセスがわくわくさせられる。
そして、なによりジョン万次郎の、好奇心と性格の良さから、「きっとうまくいくはず」と心のどこかで思いながら、そして応援しながら読んでいった。
なんでか途中まで、ロシアのエカチェリーナと会った大黒屋光太夫とごちゃまでになっていて、「もうページ数が少ないけどいつロシアに行くんだろう」とか考えていた。とんだ思い違いである。
あとがきに、この本がアメリカでヒットしたこと、日本でも、井伏鱒二のジョン万次郎漂流記が直木賞をとったことが書いてあり、今まで手に取らなかったことが不思議に思えてきた。
そして、海外の人で、こんな風に描けるのだと、驚きもあった。
ジョン万次郎がアメリカ人の船に乗ったとき、ズボンのポケットをはじめて見たときの感覚。
今では当たり前にあるものが、当たり前ではない世界。
そして、現代より行き交うことができない世界だからこそ、余計に強く感じる郷愁。
運が良かったといえばそのとおり。
だが、一歩間違えれば、少し時代が前だったら、日本に帰ってきたら殺されていたかもしれないのに、帰りたいという想い。
面白かった。
ご興味があれば、ぜひ。