青の数学 / 王城 夕紀
肩が凝った。今日はヒールも履いていた。最後の数段を、一気に駆け上がったような気分と、息切れの感覚。
最初は、背表紙から惹かれた。
つまり、タイトル。
前も書いたかもしれないけれど、フェルマーの最終定理という本(あれは確か小説ではなかった)を読んでから、数学そのものではなく、数学に取り組む人やその歴史に興味を持つようになった。(数学そのものは、三桁までの四則計算だけにしてほしい笑)
タイトル見れば、数学が題材なんだってすぐわかる。表紙の装丁をみて、裏のあらすじを読む。
一瞬、もしかしたらすごく軽い本かもしれないと頭をよぎる。
でもこの本、前にもみたことがある。目に留まったことがある。
今回は、手に取ろう。
最初の方は、文章が昔の自分の書いた文章に似てる気がして、少しむず痒い感じがした。
まぁある意味青春っぽいといえばぽいから、良いのかもしれないけれど。(タイトル見たときに、青って青春の青なんだろうって思ってたので。)
あえて、語らない。煙に巻くような書きぶりで、でも、読者に推測させる。徐々に関連性を見出させ、答えに近づくように。
それ自体は良いのだが、最初の運び方がなんとも、と思っていた。
だけど、あえて主体を語らず登場人物を推測させるシーンは良い。
最近は、受け手に易しすぎてかえってつまらないものも多いから。時々、受け手を馬鹿にしてるのかと思うほど。語り過ぎれば説明的になり、面白さやその本質を見失う。語られなければ、単純に理解されない。その塩梅は、ちょうど良かった。
その内、彼が数学に集中して取り組むとき、私もその感覚に呼応するかのようにぐわーっと文章に集中していって、ふっと気がついたときに、すっごい疲れてた。
走ってるのとは違うけど、どこかへ行くために宇宙を、あるいはなにもない所を旅してるような感覚。白くって、なにも見えなくて、光が風に乗って流れてるのだけが見えて、その方向に向かってどんどん足元から落ちていく感覚。
結構疲れるけど、消耗するけど、本を読むときにこの感覚になることは、悪くない。
心の中でそうニヤリと笑う自分がいる。
読み終わって、半分読み進めたくらいから薄々気がついてたけど、やはり続き物っぽい。
高校生の登場人物たちは、個性的でもあり、なにか一つに取り組む人というのは、こうも確固たるものがある人が多いのかと思うくらい、主張がはっきりしている。
なぜ、と問うことを人はやめない。
問うても良いし、問わなくても良い。
意味は、それぞれが考えれば良い。
細分化された世の中で、見えるべきものが見えなくなる瞬間は、いつだって俯瞰が足りてない。
そこには冷静さと、こだわりから抜けた軽やかさが必要だ。
続編、読みます。