弥栄の烏 / 阿部智里
第1部完結と帯には書かれていた。
最後の、彼の涙が出てお腹にずしんと来る。
先に読んだ人が言っていた通り、前作「玉依姫」を八咫烏の側から見た時点で描かれている。
前作は、途中まで昔の出来事を書いているんだとばっかり思っていたから、途中で奈月彦が出てきて、あ、違ったと思ったんだ。
だから、流れは元々知っている(といっても、だいぶ前に読んだからほとんど忘れていたけど)状態で読んだけど、あれこんなことあったっけ、玉依姫で見たらその他大勢で書かれていた気がしたこともあったし、この子どんな子だったっけと覚えていないこともあったから、やっぱりもう一回通しで読まなきゃだなぁと思ったのが正直なところです。
この人は、この作者は、なにものも迎合しない。容赦がない。
あとがきの対談で、最後まで話を組み立ててから書いているとあって、そうじゃないとここまで仕組まないだろうと思った。
先の、先を読んで、その上で、ひっくり返す。
これから、第1部が完結したこの状況から、どういう観点で第2部が描かれるんだろう。
この世界を守るための方法とか、そういう話を望むけど、心の中では、きっとそんなゆるい、温い話にはしないんだろうと思ってる。
彼が、とことん冷淡になるのはあえてであって、本当は見せなくても、その中に迷いも戸惑いも、葛藤もあるんだろうって思うからこそ、彼の涙が、ずしんとくるんだ。
人が人足らしめているのは、自分が人間だという認識である。
そういえば、この話の中ではとても人間という存在が神格化のような、高位にあるような存在として扱っている気がする。
だって、人間を喰べたら化物になるんでしょう?
なぜだろうか?
人間は所詮自然物のひとつに過ぎないように思えるのに、草木とはちがう、その価値を置かれている気がする。
それは、この物語が日本神話や昔話をベースにしているからなのだろうか、それとも、それすらあえてなのだろうか?
人間中心主義的な考え方にも思える部分がある。
だって、八咫烏の世界はそれが原因で崩壊していくんでしょう?
登場人物への扱い方や話の持って行きかたを見ていると、そんな風な考えがあるようには思えないのに。
不思議だ。
これは、批判しているわけでなく、意図を知りたいだけ。意図があったとしても、ないとしても、構わないから、どう思っているのか知りたい。
前作までは随分と、ひとりひとりの人物像や、ひととなりに注目して読んでいたけれど、作者がそう見ているからなのだろうか、本作は、すっごく遠くから物語を眺めているような、俯瞰している感覚に陥った。
なんでだろう。
疑問が解決すると同時に、残っていくような。
不思議だ。