オリガ・モリソヴナの反語法 / 米原万里
一気に読めたわけではないけれど、なんとも言えぬ重さがあった。
重厚感のある、読み応えのある作品だと思う。
なにより私は、その時代のロシアのことを知らない。自分の無知を知るのと同時に、静かな好奇心がふつふつと湧いてくるようだった。
そういえば、どうして主人公は謎解きをはじめたんだろう。それは途中でふっと湧いた疑問で、湧くと同時に友人が同じこと問いを主人公に投げかける。
幼い頃の記憶は、そこまで印象に残っているものだろうか。行動を駆り立てるほどのものだろうか。それはきっと、オリガ・モリソヴナが主人公に大きな影響を与えたからであり、それで実際にダンサーを目指したことは大きいからだ。
もしこれが、面白い先生だったな程度の興味なら、ここまではしないと思う。
時代に翻弄され、社会に左右される人たちは、今の世の中にも確実に存在する。例えば平穏無事に過ごしている私たちだって、表面化するほどのことはほとんどないけれど、例外ではないのだ。
「歴史は韻を踏む」ならば、それはいつ来るのだろう。なぜ来るのだろう。いつ、断ち切れるのだろう。
でも、安易に断ち切れるのならば、喜び事も簡単になくなるのだろうか。
「現実が正解だ」
あるドラマのセリフが、今も私の頭を打つ。そういうときは、大体ちょっと嫌なことが起こったときだ。
現実は厳しい、でもそれが正解なら、これからの現実を変えられる自分になるしかない。大きいことのように思えるけれど、案外大きなことをしなければならないわけではない。
変えられないことは確実にある。それ以外のことをする。一番は、そして最後まで、自分を変えるんだ。
寒さの厳しい土地は、忍耐強く静かに芯を持つ民族が育つのだと勝手にイメージしていた。
きっと忍耐強さは、この作品の中にもあった。
でもそれ以上に感じたのは、衝動を駆り立てる激しさだった。
身体で表現される意思の強さだ。
悪口の多さでは群を抜くと作中で言われていたロシア語は、私からするととてつもなく難しい言葉のように思える。
ロシア文学をあまり読んでこなかったのは、なんだか暗くて重いイメージだったから。
物事を知ることは大切だ。
それ以上に大切なのは、知識や知恵を活用していく応用力。
あなたのダンスを、見てみたい。