妻に捧げた1778話 / 眉村卓
読み始めて、ふとした瞬間から、自分の感想文を頭の中で書き始めてしまった。
こういうことはたまにある。その分集中できていないのか、冷静なのか。
思ったことを、ぽつぽつと。
ひとから薦められた本はできるだけ読むようにしている。この本もそうで、いつもはもう少し軽く読めるセンチメンタルな小説を薦めてくれる先輩が、珍しく縦長の本(新書)を持ってきてくれた。
男性と女性で感想は違うみたい、と最初に言われ、話題になったから知ってはいるものの読む予定のない本だった。
(その先輩は男性で、読み終わった後は号泣したそうだ。)
私個人の事情もあり、借りた時期は全く読む気がせず、時間がかかるかもと伝えると、東京五輪までに返してくれれば良いと言ってもらい、しばらく本棚に置いておいた。
数ヶ月経ち、さすがに読まなきゃ、返さなきゃ、と手に取ったのだ。
ショートショートそのものは、ちょっとひねりのあるもので、何遍か面白いなと思うものも含まれていた。
映像に浮かんできたのが、書庫の本たちが燃やされ火の粉を纏って飛んでいく様である。捨てられない本の愛おしさや葛藤も、読まれない本の嘆き悔しさも、感じることができた。
そして兄貴のこと。いちばんSFらしいといえばそうで、最後の場面なんかは非常にベーシックな画である。語り手の「作り話とか妄想とかかもしれないし、ひょっとしたら本当にそうなのかなと思ったりもした。どっちでもよかったんだ。」に大いに頷ける。神様も怪奇現象も精霊も宇宙人も、本当でも違くてもどっちでもよくて、どちらの余白(可能性)も残しておくことがちょうど良い塩梅なのだ。
降水時代。雨ではなくて水がどばっと落ちてくる。ありそう、来そう、不便そう(笑)
古い硬貨は、さんまさんのお札の話を思い出した。
ショートショートのネタバレは、あまりしない方針で。
また、その間のエッセイの、共感できたり、心にきた部分をいくつか。
「(一日一話書くということに対して)辛いと思ったことは一度もない。なすべきことをしているという充実感に似たものさえあったのだ。考えようでは書くことが現実からの逃避になっていたのかもしれない。」
「ああこれ以上、」って思ったとき、文章や言葉を書くしかなくなることがある。それは自分自身を整理することでもあるし、気持ちを外に出すことでもある。私がそう思ったときなんてひとからみたら些細なことだったかもしれないけれど、自分にとっては大きいことだったから、このように並べるなどおこがましい気もするが、そういう瞬間が、ある。
「前年の三月に二人で松尾寺に詣ったさい、祈願の札に、病気平癒と書けと私が二度も言ったのに、妻は聞かず、文運長久とだけしるしたことが、よぎっていた。私の協力者であることに、妻は自負心と誇りを持っていたのだ。」
ただただ、すごいなと思うのみ。
長年連れ添った夫婦がどういうものか、まだまだわからない。でも、長く一緒にいることに価値があるのだろう。