自然を想うこと、自然と思うこと
私はよく、この瞳の瞬きがシャッターになれば良いのに、と思う。
夕暮れの美しい朱色の雲の移り変わりがどこかに残せれば良いのに。
写真を撮れば良いと言われるかもしれないけれど、しかしやはり、レンズを通したものは瞳に映る景色とは異なる。
ただその一過性が自然であり必然であり、とまることのない時間を表している。
そこにある自然な景色を、雲の移り変わりや木々の葉の囁きを、記録したい、覚えていたい、残していたいという想いは、本質的には矛盾しているのかもしれない。
石畳の階段、ひとが食べ落としたポテチのかけらを、ムクドリが食べにきた。
私がすぐ近くにいるのに、怯えることなく、様子を見ながらでもなく、平然とトコトコ歩いてやってきた。
あの鳥はよく歩いているのを見かける。もはや人間に警戒心も抱かないのだろう。自分に危害を加えないと知っているんだろう。
しばらくして満足したのか、彼は一声鳴いて飛び立っていった。
風は太古からの変わらぬ化石という。
いまここにあるすべてが自然であると知ったとき、喜びをもってして未来を見ることができる。