On the way

思いつくまま気の向くまま

アラスカ 永遠なる生命 / 星野道夫

白いシャガの花の群生は、いつの間にかその姿を消した。

数日前の雨で萎れたのか、気温差が原因なのか、ただそういう時期だったのか、それはわからない。

 

でも、気づいたことがある。

同じ場所にはハルジオンも咲いていて、あの歌詞に出てきたようには、背は高くないなぁと思っていた。

シャガの花がなくなり、少し先まで見てみると、木の根に背の高いハルジオンが咲いていた。

そうか、人が踏む場所には背の高いハルジオンは育たないんだ。

ひとつなにかがすとんと落ちたような気がした。

 

この本は、とっても贅沢。

写真と言葉と、ひとつひとつが特別に切り取られて額縁に入れられたようなもの。

ひとつひとつがとても丁寧に扱われている。

わがままを言えば、もっと文章を読みたい気持ちもありました。

 

「いつも、いつも、遅く生まれすぎたと思っていた。(中略)が、今私の目の前を、カリブーの大群が何千年前と変わりなく旅を続けているのを見て、何かに間に合ったような気がしたのである。

きっと人間には、ふたつの大切な自然がある。日々の暮らしの中でかかわる身近な自然、それはなんでもない川や小さな森であったり、風がなでてゆく路傍の草の輝きかもしれない。そしてもうひとつは、訪れることのない遠い自然である。ただそこに在るという意識を持てるだけで、私たちに想像力という豊かさを与えてくれる。そんな遠い自然の大切さがきっとあるように思う。

(中略)

私はカリブーがいなくなった地平線を見つめながら、深い感動とともに、消えてゆくひとつの時代を見送っているようなある淋しさを覚えていた。

いつの日か、この極北の地に憧れてやってきた若者は、遅く生まれすぎたことを悔やむのだろうか。」

 

「ぼくを見つめるハクトウワシには、過去も未来も存在せず、まさにこの一瞬、一瞬を生きている。そしてぼくもまた、遠い昔の子どもの日々のように、今この瞬間だけを見つめている。一羽のワシと自分が分かち合う奇跡のような時間。過ぎ去ってゆく今がもつ永続性。そのなんでもないことの深遠さに魅せられていた。(中略)

日々の暮らしのなかで ”今、この瞬間” とは何なのだろう。ふと考えると、自分にとって、それは ”自然” という言葉に行き着いてゆく。目に見える世界だけではない。 ”内なる自然” との出合いである。何も生みだすことはない、ただ流れてゆく時を、取り戻すということである。」

 

新緑の季節。

どうして人は、この青空に映える、風になびくこの木々の緑を平然と通り過ぎていくのだろう。目を向けることもなく、ただ目的地に向かって歩くのだろう。

私はただその景色を眺める。

私の中で、ただそのときが流れるのだけれども、いつの間にか、そこに歩く人さえ、景色のひとつになっていった気がした。

そうしていると、ただ流れている時間というものを、感じることができる気がした。

 

ワイルドクロッカスの色の鮮やかさに驚き、イチゴをくわえたアカリスのエピソードに笑みがこぼれる。カリブーの瞳はくぼんだ闇のように深く、グリズリーの毛並みにあたたかさを感じる。

 

次の本を、読みたくて仕方がない。

私の読書は、人生の食事だと思っている。

私にとって本は食べるもの。ときにむさぼるもの。

そして私の思考をつくる。私の構成要素となる。

いま、私はこの写真家の本が好物なのだろう。きっと。