言葉にするということ
パソコンのキーボードをタイプするとき、心が落ち着くのはなぜだろう。
スマホで文字を打つよりも、しっくりくるのはなぜだろう。
キーボードを鳴らす音が、耳に心地よいのはなぜだろう。
文字を打つとき、文章をおこすとき、言葉にするとき、気持ちの中のものが少しずつ解けていくような気がしている。
相手に伝えるという行為は、苦手だと思う。
それは、伝える練習をずっと怠ってきたからかもしれない。
自分の話に耳を傾けてくれる人はいても、自分の話は長くてわかりにくくて、相手に退屈させてしまうのではないかと、怖がっているところがある。
だから、伝えるときも簡潔に要点をと心掛けてきた。
その結果、相手に伝わることは少なく、足りず、ときに誤解さえ生む。
ちょうど良い言葉で、伝えられる人になりたい。
過不足なく、短すぎず長すぎず、人を不快にさせず、自分の気持ちを正しく伝えられるようになりたい。
今はただ、いろいろな場面で、「絶対に”今更”って思うな」と自分に言い聞かせてる。
それを言ったら終わり。
なにかをするのに、人生上にタイムリミットを設けてはダメ。
だってまた明日は来るから。
下手なら下手なりに、練習するなり、頑張るなり、するしかない。
人と比較するクセは、意味がないということもよくわかっている。
だって、あの人は私じゃない。
だから大丈夫、いまの悩みは大したことじゃない。
ほら、あの演説で有名な偉人だって、言ったらしいじゃないか。
I am not concerned that you have fallen - I an concerned that you arise.
あなたが転んでしまったことに関心はない。
そこから立ち上がることに関心があるのだ。