On the way

思いつくまま気の向くまま

羊と鋼の森 / 宮下奈緒

 

想像と全く違う物語だった。

本当は、静かに、明るく、美しい物語。

心がほっとするような。
肯定してもらえているような。

深い森の中の、木漏れ日か日だまりのような物語。

映画化されるようで、キャストも良さそうだけれども、やはりまずは一度読まないとだと思う。

「なにひとつ無駄なことなどないような気がすることもあれば、何もかもが壮大な無駄のような気がするのだ。ピアノに向かうことも、今、僕がここにいることも。」

読み終わった直後は「蜜蜂と遠雷」に近いものを感じたが、よくよく思い直してみると、違った。
蜜蜂と遠雷」は、白く広い空間の中に、人それぞれの鮮やかな色とストーリーがが飛び交っているイメージ。

一方、本書は、主人公の語る森のイメージを壊さない。
森の中にある鬱蒼とした闇、梢、木漏れ日、風、息づかい、光る木、土のにおい、生命の呼吸、気配。

先は見えないけれど一歩ずつ行くしかない。
その一歩の意味と、小ささと大きさを当然と受け入れている主人公。

「もしも調律の仕事が個人種目なら、飛び道具を使うことを考えてもいい。歩かずにタクシーで目的地を目指したってかまわない。そこで調律をすることだけが目的であるなら。
でも、調律の仕事は、ひとりでは完成しない。そのピアノを弾く人がいて、初めて生きる。だから、徒歩で行くしかない。(中略)一歩ずつ、一足ずつ、確かめながら近づいていく。その道のりを大事に進むから、足跡が残る。いつか迷って戻ったときに、足跡が目印になる。どこまで遡ればいいのか、どこで間違えたのか、見当がつく。(中略)たくさん苦労して、どこでどう間違ったか全部自分の耳で身体で記憶して、それでも目指すほうへ向かっていくから、人の希望を聞き、叶えることができるのだと思う。」
 
良かった。
無駄じゃない。
もし無駄があるとしたら、その概念は全てを壮大な無駄とみなす考えなのだ。
どちらが正解ではなく、ただそういう考え方に救われる。

こんなに独白の多い小説も、最近では珍しいのではないだろうか。

最初は侮っていた。
以前、単行本が本屋にずらっと並んで話題になっていたけれど、そのときは装丁や雰囲気で、きっと暗い物語だろうと決めつけて手に取らなかった。
文庫本が発売され、読む小説が手元になくなったとき、なんとはなしに購入した小説だった。

以前も書いたが、本との出逢いは、出逢うべくして起こっていると思う。
それは人も同じこと。
そのタイミングで会うからこそ、出逢った意味があるのだ。

この本には感謝を述べたいと思う。

今までの人生を肯定してくれて、ありがとう。
これからの道筋は見えなくて当然でも歩き続けなければいけないと説いてくれて、ありがとう。