まぐだら屋のマリア / 原田マハ
タイトル・ジャケット買いだった。
マハさんのを定期的に読むのは、もはや習慣かもしれない。
しばらく経ってから、読んでる学術書が一向に進まないものだから、本棚に積んでおいた未読本の中から引き抜いた。
ほぼ1日で、読み終わった。
なにを思い描いてたか忘れたけど、なんとなくイメージと違ったし、もう少し重い感じだった。
怖いなって、というか、きっついなって。
本当は、前に読んだ「生きるぼくら」みたいな読後感を期待してた。
「生きるぼくら」は気持ちの良い、さわやかな読後感だった。
それよりも、別れの淋しさみたいな、生きることは過去からの積み重ねで、継続的なもので、なかったものにすることはできないし、する必要もないのだという事実をそっとそこに置いて、でもその荷物を背負ってまたバスに乗ってどこかの原風景に還っていくんだっていう、そんな感じ。。
ひとは贖罪を背負ってるというのは、どこか題材の宗教的な匂いを思わせる。登場人物の名前も。
そして物語の中で一貫している、料理・食事というポイント。
"食べることは生きること"
そんな風に明言せずとも、そう思わせられる、主人公がマリアの食事を食べた時、女将さんが主人公の食事を食べた時、ゆうたが、まるこが、主人公の食事を食べた時…
仕草ひとつ、言葉ひとつ、目線ひとつから滲み出る。
ひとは、ギリギリの淵から、どうやったら立ち上がれるんだろう。それは一概には言えなくて、人それぞれだけど、その気持ちを泉からそっと両手で水を汲み取るみたいに、そんな一言を持っているのが、マリアだった。
私は、日々後悔しないようにしよう、丁寧に料理して、家族に喜んでもらいたいって、単純に思った。
どうか、みなさん、しあわせでいて。