問いと選択
私は、当時の私自身が、何度も問いかけて選択したという事実を知っている。
それが私の選択だと、この選択は自分が責任を持つものだと一度決めたのだ。
後から理由とか言い訳とかしないって、決めたのだ。
だから今、遡って他の何かのせいにしたりするのは全くもって歪な話で、責任放棄であり、過去の自分を、その選択と意思を、蔑ろにすることではないだろうか。
何回も何回も、頭の中で堂々巡りしている気がする。
信じていたものに裏切られた気がしても、本当は裏切られたわけではないと頭ではわかっている。
ただ、少し、振り返るくらいに心が弱ってるだけ。
大体において、考えすぎなのだ。
それだけはわかっている。
絶対なんてことは、ありえない。
その認識は私に、気軽になった気持ちと、どこまでも自由な気持ち、宙に浮くような不安定な気持ちと、地面が歪むような気持ちをもたらした。
赤めだか。
「現実が正解だ。」
その通りだと思う。
それ以上でもそれ以下でもないと思う。
そして私は、何回だって自分に言う。
当時の自分は、あれが精一杯だった。
当時の私にとって、あれが正解だった。
今の自分は、あの頃より嫌いじゃなくなったでしょ?
それは、あの頃からの自分の積み重ねだからだよ、と。