風土 / 和辻哲郎
道の真ん中で、鳩が佇んでいた。
どうしてだろうと見ていると、そこだけ木のお陰で雨が降らないんだ、それがわかった。
羽根、濡らしたくないよね。
鳩の表情が、なんだか寂寞としていた。
さて、完璧を目指すのをやめて、進み続けることを目指そうと思う。
ということで、まだ半分しか読めてないけど、少しだけ。
ずっと読みたいと思っていた本だった。
古い単行本は家の書棚にあったけれど、読みにくくて仕方がなくて改めて文庫版を購入。
言葉が古いのはそういうものだと。でもそんなちょっと読みにくい本に挑戦しているのは良い気がして。
著者は後に帝国主義的な考えを持ったとも聞くが、私は著者の政治的思想とは関係のないところで本の感想を述べる。
風の中のマリアを小説として好きだということと、同様に。
筆者は気候を3つに分けて語る。
細かいことは省くけど、風土と歴史は表裏一体。どちらが先ということはなく、離れがたい両輪だということ。
そしてその風土的側面から、その土地の人間性も論じる。
モンスーン気候、主にインドは、その湿度による辛い暑さに耐える、耐えることを覚えた人々は、忍耐的で、繊細。だから彼らは、侵略者に対しても、同様の態度をとる。
砂漠、ここはなにもない、生命を見出せない場所。ここの人々は、常に死と近い。共同体が行く先を誤れば自らが死に、仲間割れが起これば誰かが死ぬ。共同体への依存と闘争。彼らは強くあらねば生きていけない。
牧場、主にヨーロッパを指し、まずはその気候による大らかさを語る。風が強くなければ、余計な力がかからなければ、木は真っ直ぐに成長する。それを素直さとする。日の当たる場所で人々は明るく育つ。同時にその陰影の中にキリスト教拡大の要因を宿す。
空で覚えているのは、こんなところ。
こう書くとあたかも風土的性質がその歴史的性質を決定しているかに見えるが、著者はそれを否定する。
相互作用であると強調する。
先日、物理学(科学)と哲学の講演を聞いた。各分野の登壇者が1名、講演と対談を行うものだが
分野融合という動きは最近随分と進んでいて、というよりは、促進されていると思う。
分野融合または分野を超えた学問研究に関しては肯定的な立場だ。
ただ実際、講演会では、まず、言葉の定義の差異を感じた。
そして、異なる領域で対話をすることの難しさを見た気がする。
ほんの数時間のシンポジウムでは無理もないかもしれない。
だからこそ従来進んでこなかった、進めることができなかったものだと思う。
あと数十年したら、誰かが宇宙を論じるとき、人間の社会性を根拠として持ってくることはあるだろうか。
(逆はいまでもある気がするけれど)
サイエンス、それをどう捉える時代になってきたのか。
著者が生きていたら、なにを語るだろうか。
また、きっとページをめくるときがくるから、しおりは挟んでおく。