On the way

思いつくまま気の向くまま

人間この未知なるもの / アレキシス・カレル

随分と前に、友人に紹介してもらった本。
2017-2018の年末年始の1週間で読破することを決意し、ギリギリ達成できた本。

 

序章を読んだ瞬間、大いにわくわくした。
ここには精神と科学の統合知が詰め込まれているに違いない。そう確信があった。

 

現代から考えると、本書は予言書のようなものかもしれない。
都市に住むことの精神的・健康的弊害、グローバル化の弊害、等々。

 

基本的には首を縦に振ることができる記載が多い。
特に、心と身体の関係性は、すでにこの時代から解き明かされていたのかと驚いた。もっと最近になって気付かれた事実だと思った。
(個人的には、最近医者に行っても原因がはっきりせず、「ストレスが原因です」と診断されることばかりで、対処法がわからず困ることも多々あり、そういった時代になってきたのだと考えた。)

 

また、今読んでる本のひとつ、カーネギーの「道はひらける」でも、悩むことで身体に影響が出ることがはっきりと記載されている。このように思い悩めば、あなたはこの病気に罹るでしょう、といった具体的な病名まで。


しかし、カレルの本書では、能力が優れる少数精鋭を育てるために、それ以外の人間も、(時には単純労働者として)必要という、優位性の法則に偏りのある記
載も見られ、それについては、素直に頷くことができない。

 

確かに、数ある資材をまんべんなく配分すれば、先天的な能力が上手く育たない、先天的能力のない人間に力を注いでも、大した成果は得られない。それはきっとひとつの事実だろう。優秀なエリートを、国家や世界のリーダーとなるべき人物を育てるために資材を注ぐべきだと、そういった主張だと感じた。

「適材適所」という言葉がある。
全員が首相になるわけでも、社長になるわけでも、リーダーになるわけでもない。
ホワイトワーカー、ブルーワーカー、芸術家、医者、主婦・・・
では、その人の「適材」はどこにあるのだろうか。
それを人間は、本人自身はわかることができるのだろうか。

 

カレルの書き方では、さながらエリートが人民を統治する立場=リーダーになることが正しく、そこに人間の序列が存在するものだという印象を受ける。

これは、視点が変われば変わる問題なのかもしれない。
しかし一方で「天は人の上に人を造らず」という言葉もあるではないか。
本書では、この点がすんなり自分の中に入ってこなかった。
資材や機会を、リーダーの適正のない者には与える必要はないのか。
その判断は誰が下すのか。

あくまで超人的な視点に立って物事を見たときの事実、と言われればそれはそうかもしれないが、では現実に落とし込んだときにどう考えるか。
人間社会における問題として、低所得者層の生まれの人間は、将来低所得者になる確率が高いというのは通説だ。
本書では、それが遺伝的にも「適材適所だ」というのかもしれない。
(それに近いニュアンスのことはあった気がする。記憶が曖昧。)

 

個人的には、それを努力によって変えるための「教育」だと考える。
だから人間は、ある一定までの「教育」は、「受ける権利」を与えられなければならない。
そこにはある程度の資材が投入される必要があり、それを無用の長物とは言わせない。

 

どこかのレビューで、「ヒトラー的考えに近い」という感想があった。
そこまでかはわからないけれど、著者が、生物学的観点からして、優位性の法則の立場に立つのは、当然といえば当然だろう。彼は医者だから。

 

半分以上は、優位性の話に疑問を呈する形になったが、本書そのものは、読んでいて大変興味深く、ぜひともオススメしたい1冊だ。
さも批判しているかのように書いているが、そういう訳ではない。
同意できる部分は比較的すんなり素直に自分の中に入ってくるので、反対にいえば読んでいて印象に残らないのだ。

一読の価値はある。きっと。